こんにちは。
まじめにふまじめ未解決少年大矢根です。
今回は情報を商材とする(情報商材ではない)ビジネスと市場経済って食い合わせが悪すぎね?という構造的な話をしていこうと思います。
後半ではSEOの話が多めに出てくるのですが、なるべくSEO界隈に関心のない方にもわかりやすい内容を心がけます。
5000文字オーバーになっちゃったので、暇なときに呼んでください。ブクマ推奨(死語)。
おおむね市場原理に決定される情報の価格
知りたいことがあると、人はほぼ無意識に指をフリックしたり、キーボードを叩いて検索窓や生成AIのチャット欄に疑問をぶつけます。
たとえば「冷蔵庫に賞味期限切れの豆腐と冷凍ひき肉しかない時」とか。
そうするとクックパッドとかレシピのブレストとかが出てきて、「結局麺つゆ煮込みが最強なのね」的な結論に着地しますよね。
しかし、料理人直伝のレシピは有料記事だったり、ミシュランで星がついたレストランのレシピはそもそも門外不出なので、何万円も払って食べに行く必要があったりします。
普段検索していると忘れがちですが、実体のある商材と同じように、情報も市場価値によって価格が決定されています。
極端なところで言うと、B2Bビジネスの市場調査データなんて、PDF数枚の情報が数十万円から数百万円で取引されていたりします。
有益な情報には価格がつき、その価値を正当に見積もれる人が持続可能な対価を支払って入手する。
なんて健全な市場経済でしょう。
しかし、僕たち一般人は、あらゆる情報の「価値を正当に見積もれる」側の人間なのでしょうか。
大事なところで市場原理が機能しない
情報市場のマジで最悪なところを書きます。
人間は「難しさ」に耐えられない
僕たち人間(クソデカ主語)はとにかく難しいことが苦手です。
隙があったので自分語りをします。
大学に入学した18歳の僕は意気揚々と学内の図書館に行き、高校の教科書で見知った人文学の古典を山積みにして読書にふけりました。
アダム・スミス、カント、デカルト、マルサスe.t.c.
まっっっっっっっっったくわからん。
読んだはずの文字がぜ~~~~んぶ目を滑り落ち、数百ページを読破(?)して背表紙をたたんだ後に残る「???」という感想。
そしてGoogleの検索窓に打ち込みました。
「国富論 要するに」
そうすると当時はAI要約とかはなかったので、ブログを書いている人が教えてくれたんです。
「みんなが好き勝手に商売すると、なんやかんやあっていい感じに発展するんやで」
そうやって僕はアダム・スミスやマックス・ヴェーバーを読んだことにしていきました。
たぶん僕は多数派。
ちゃんと古典を読破してその真意を理解できた人なんてほとんどいないはず。
正しいかどうかは別として、わかりやすさに逃げ込むんですよ。人(クソデカ主語)って。
ゆえに人為的に作られる市場「SEO」
難しさに耐えられない人間に、玉石混交なインスタント知恵の実を授けてくれるGoogleなどの検索エンジン。
検索エンジン上では、ほぼ全ジャンルで検索結果のトップ10に表示されるサイトがアクセスの90%以上を占めます。
裏を返せば、どれだけ有益な情報を発信していても、トップ10に表示されなければ存在しないも同じです。
だからサイト運営者は必死で検索上位に自社サイトを表示させようと努力(SEO)します。
一旦AIOとかの話は置いておきます。
しかし、情報の非対称性が存在しない完全な市場経済なら、本来検索エンジンもSEOも必要ないはずなんです。
- ネットに必要な情報があると判断する
- 関連するすべてのサイトを閲覧する
- 最も信頼性の高いサイトの情報を採用する
これができれば何も困らないのですが、人間のリソースでこんな芸当は到底不可能です。
そもそも「最も信頼性の高いサイト」を正確に判断できるならググる必要なんてないし。
もっとそもそもの話、情報の非対称性があるから情報が商材足り得るわけだし。
だから検索エンジンが「たぶん君に一番役立つ情報はこれだよ」と、検索結果をランキング形式で見せてくれます。
長年Googleは「わかりやすく」「ちゃんとした」情報をトップに表示させることに腐心してきました。
その努力がGoogleの検索エンジンシェアを不動のものにしたと言えるでしょう。
世界で最も頭のいい人たちが必死で考えたシステムで動くGoogle検索は、そこで存在感を示すことが媒体の収入を大きく左右する市場を生み出しました。
同時に、検索エンジンが媒体の生殺与奪を握っているという構造が情報市場に歪みを生み出しています。
他の何がインターネットの情報市場を牛耳れば良いのかと聞かれると答えに窮するのですが。
「じゃあ本読めばいいじゃん」って?
そう簡単な話じゃないんだわ。
「ググればザックリわかるけど、プロの解説は有料記事や本」というシンプルな構造ならどれだけよかったか。
YMYL領域マーケティングの紙媒体への流出
この記事を書き始めたきっかけのエピソードを紹介します。
SEO界隈の皆さんが大好きなWELQ事件の話ですよ。
2016年、DeNA運営の医療情報サイト「WELQ」が、不適切な引用や根拠のない記事を量産していたとして大炎上した騒動。専門知識のないライターによる「肩こりは霊の仕業」といった不正確な情報の掲載や、他サイトからの無断転載・リライトが発覚。同社運営の全10キュレーションサイトが公開停止に追い込まれました。これを機にYMYL(健康・資産形成関連等)領域の検索エンジンの挙動も情報の信頼性を重視する形へ変化しました。
我が家には0歳の子どもがいて、最近離乳食を食べ始めました。
「離乳食って何を食べさせてあげればいいのかな」という疑問をネット検索で解消するのはちょっと危ないんじゃないかと思った妻が、書店でいくつかの本を立ち読みしてから買ってきてくれました。
妻は小児科の看護師で、子どもの食事のプロです。
とはいえ作り置きレシピとか時短のプロではないので本を買ってもらいました。
妻から聞いた本屋で売られている雑誌的なハウツー本の現状を聞き、僕は驚くと同時に納得しました。
「本屋さんで○○っていう媒体の育児本をいくつかめくったらね、離乳食に”いきなり卵黄半分食べさせなさい”とか書いてあるの。
私は絶対ダメだってわかるけど、調べたら”本の通りにやったのにアレルギーが出た!”っていうママさんの悲鳴だらけだったよ。
でも信じちゃうよね。発行元○○だし、監修者はインフルエンサーの××だもん」
僕は「その媒体がそんなことすんの!?」という驚きと同時に、
「WELQ事件でウェブを追い出されたYMYL系インフルエンサーがGoogleに監視されない書籍でやりたい放題やってんだなあ。
そいつらに書かせた方が本物の医療従事者に監修してもらうより安いし」と納得しました。
思えばSEOで稼げなくなった連中がインチキ医療情報や金融情報を盛んにSNSと紙媒体で出すようになったのってWELQ以降だとも思います。
「ネットは便利だけど、誰が書いたかわからない情報が転がっている。
紙媒体は有料だし不便だけど、ちゃんとした情報が載っている」
はもう幻想なんですよね。
消費者に求められるリテラシーの多様化
「じゃあどうすりゃいいんだよ」って思いますよね。
僕も「どうすりゃいいんだよこれ」って思ってます。
わかりやすい特効薬はありません。
でも、どの角度から情報を疑えば相対的に安全な情報にアクセスできるかは示せます。
許容できるバイアスを認識する
「複数の媒体にあたる」「批判的に検討する」は古典的な情報リテラシーとして多くの人が実践していると思います。
「ネットの記事より、出版社が責任を持って売っている本を相対的に信用する」とか
「筆者論文の引用数を見る」あたりはよくある方法論です。
いずれも「権威ある情報をより強く信用しよう」というアプローチであることは同じです。
そして、そのアプローチはおおむね正しいと思います。
どこの誰ともわからないSNSの投稿より、共同通信のリリースの方が信憑性があります。
「ネットDE真実」ダメ・ゼッタイ。
注意点は記事や本のステイクホルダー(利害関係者)です。
食品会社Aの記事は食品会社Aの食材を使うように書かれていますし、有識者の記事ではその人の持論が展開されます。
つまり発信される情報には大なり小なりバイアスがかかっており、そのバイアスが自分の消費行動を決定することを許容できるか検討する必要があります。
たとえば僕はKTCというメーカーの工具が大好きです。
KTCのオウンドメディアがあったとして、そこで「こんな工作にはKTCのこれがおすすめ!」と言われたら僕は「そりゃ納得」と受け取ります。
逆に怪しいECサイトのオウンドメディアが「今ならこの工具が激安!」とか書いていても眉に唾を付けてブラウザバックします。
媒体が有益な情報を発信するインセンティブを見抜く
有益な情報を新たに発信するのは大変な仕事です。
仮に有益であっても、すでに他社が発信している情報と同じことを書いてもSEO上不利なので価値は生まれません。
だから新たに調査したり、整理されていない情報を整理したりする必要があります。
その情報発信が、情報づくりのコストを上回る価値を創造すると予想できるから実行されたことは想像できますよね。
じゃあ企業はその「価値」とやらをどのように創造しようとしているかを考えてみましょう。
ポイントは仮説を立てて検証することです。
それでは、先述したインフルエンサー監修の乳幼児関連書籍がなぜ生まれてしまったのかを考えてみます。
僕の仮説は、出版不況でコストカットが至上命題の出版社と、WELQ事件で検索エンジンを追い出されたインフルエンサーの悪魔合体です。
もちろんどこにも答えはありませんし、当事者は本音を語らないので状況証拠を積み上げるしかありません。
仮説の確からしさを確認するために僕がとった方法は、企業のIR情報とインフルエンサーの出版業界参入時期の調査です。
出版社がIR上で必死にコストカットをアピールしており、特に外注費関連のコスト削減幅が大きければ仮説は概ね当たっていると言えます。
また、インフルエンサーが2017年から2018年前後に出版業界に参入していればビンゴだとあたりをつけました。
他の仮説でも全く問題ありません。
また、その本の怪しさを前段階から探ることもできます。
たとえば「科学分野をまともに編集できる編集者はいるか?」という問いを立ててページをパラパラとめくり、科学情報の概要をGeminiなどのAIに聞いてみます。以下はプロンプト例です。
「こんなことを言っている人がいる。”~主張~”。この情報に科学的な裏付けはある?ない場合は”ない”と回答し、ある場合は参考文献のリンク、もしくはISBNとともに3行程度のアブストを添えて出力して。余計な前置きやあとがきは不要。」
ある一線で情報には値札が付くと割り切る
ここで情報は市場経済の一商材に過ぎないという原則が舞い戻ってきます。
一定以上の品質の情報を、規模が一定未満の市場に対して投入すると最高効率で収益を出してもコストが上回ってしまい、無料の情報は品質の天井にぶつかります。
自分がニッチなことを知りたいと思ったときには、
- 頑張って調べて断片的な情報から知りたいことの輪郭を掴む
- 多少のコストは許容して信頼できる発信元から購入する
- 諦める
という判断が必要になります。
最近はAIの進歩によって 1. 頑張って調べて断片的な情報から知りたいことの輪郭を掴む の難度が下がってきました。
たとえば知りたいことをAIに投げ込んで、「演繹的にこの情報を知るためには、どのような他領域の断片を掴めばいいか」と聞いてみるのもいいでしょう。
頑張りましょう。僕も毎日頑張ってます。
令和10年代に求められるクリエイターの矜持
ネットの情報はAI生成記事と露骨な利益誘導に汚染され、有料媒体さえ信頼できない世界になってしまいました。
実際に検索結果が劣化しているという指摘は既に世界中でなされています。
そこで本記事のラストでは、少し先の未来、令和10年代のクリエイターが陳腐化しないためにできることを考えてみました。
まずは未来予測です。
予測①インフルエンサーを起点としたデジタルデバイド
改めて「歪んだ情報市場」を、この記事では「情報の品質と価格が比例せず、どこかに正しい情報は存在するが、そこにアクセスできる人が市場原理以外の方法に決定されている状態」と定義します。
この歪みは今後の数年で強まり続けるでしょう。
ショート動画などの短尺プラットフォームはシェアを伸ばし続けており、これまで以上の速度でインフルエンサーを量産するでしょう。
インフルエンサーはフォロワーを増やして知名度を換金するために、これまでも、これからも、「人が言ってほしいこと」を語りかけます。
人がインフルエンサーの発信する情報に集中すれば、局所的に需要の高いコンテンツが生まれ、インフルエンサーは自身の情報を有料記事や書籍にしてさらなる収益化を目指します。
一方で頭の冷えた人は批判的な情報収集を続けるため、最低コストで正しい情報にアクセスし続けるでしょう。
結果は新時代のデジタルデバイド。
つまり、踊らされて金を搾り取られる人と、自らの意思で情報を手繰り寄せる人に二極化します。
中間層が消滅するのは、スマホの普及やUI/UXの改善によって情報発信者へのアクセス障壁が消滅し、ほとんどすべての人が極のどちらかに振り分けられるようになるからです。
予測②収奪に反発して発生する情報のバブル化
インターネットのどこかに無料の優良情報が存在する場合、GoogleやOpenAIを筆頭とした「情報整理業」とでも呼ぶべき業者は、「我々こそ正しい情報をトップ表示しています」とアピールし、そのための開発を進めます。
しかし、高精度な検索アルゴリズムを作れる企業は限定されており、その企業群はChatGPTに代表されるような大規模言語モデル(LLM)を作れます。
また、アルゴリズムの源泉となるクローリング(ネットの隅々までサイトを見て、サイトリストをデータベース化する行為)はLLMのデータベースになるため、WebサイトはLLMに無償で情報を収奪される構造になっています。
クリエイターは自分たちのページを訪れず、ユーザーに情報だけを提供するような収奪に反発し、ネットに情報を公開しないようになります。
公開するとしてもパスワードなどをかけて、信頼できる人にしか見せないようにする「バブル化」が強まるでしょう。
不幸になるのは良識あるユーザーです。
有益な情報は発見者のバブルに包まれて公にならず、生活の中では有害無益な情報を浴びる構造が生まれます。
矜持:情報の外側に価値を創造する
いきなり話が飛ぶのですが、日本酒にはお米をたくさん磨いて、お米の体積の50%以下を使って作る大吟醸というジャンルがあります。
雑味の少ないキリッとした飲み口に華やかな香りが追いかけてくるのが特徴で、飲みやすいことからも非常に人気のあるお酒です。
でも僕はバカ舌なので、あんまり大吟醸同士の違いがわからないんですよね。
飲み比べても「あー飲みやすい大吟醸だね」って思っちゃう。
それより精米歩合が低いネットリしたお酒に宿る雑味を楽しみたい。バカ舌だから。
ところで情報そのものって大吟醸みたいじゃないですか?
「○○大統領が××と言いました」という情報は誰が発信しても同じです。
もちろん微妙な書き味の違いとか、発信者の背景を知っていればその機微を楽しめるのでしょうが、普通の読者は関心を持ちません。
いやマジで大吟醸をディスってるわけじゃないです。
コアの部分以外は僕みたいな人に伝わりづらいっていう話です。
だから僕は雑味の部分を強調して、情報そのものを消費する検索行為へのオルタナティブを模索したいと思っています。
それは作り手の熱量が伝わり、情報ではなく、その人の人間性に触れたくなるコンテンツ。
情報の中身を問わないコンテンツは、収奪的な情報エコシステムに対して強靭です。
一方で、情報の中身を問わないコンテンツは悪質な情報を届けてしまうこともある諸刃の剣です。
しかし、少なくとも片方の刃は悪質な情報を浴びている人に良質な情報を届ける方法にもなるでしょう。



