「助けてあげること」の呪縛と中毒性

佐藤 大樹

ギルギルタウン共同創業者。
当社で珍しい万能型という評価を受ける。
中高の美術と音楽の成績は5段階中2。ユーティリティプレイヤーの皮を被った凡人。
趣味は冷蔵庫の棚卸しとインディーズ漫画を発掘すること。

助けてあげることで自分を満たすことの呪縛と中毒についての話です。

僕はギルギルタウンではオールマイティなタイプだという評価をしてもらっています。
実態はユーティリティプレイヤーの皮をかぶった凡人なのですが。

何でも屋が得られる充足感

まずは僕をオールマイティな人間だと思ってください。

仕事での守備範囲がとても広い”何でも屋”って結構いると思います。
たとえば大企業ほど何でも屋が大多数を占めているのではないでしょうか?
そういう人ってやるべき業務フローの上から下までだいたい自分で全部できちゃいます。
ギルギルタウンでも僕はそんな風に振る舞っていました。

「万能型」の僕は、他のメンバーから業務やタスクを頼まれることもしばしば。
他のメンバーは1点突出型でレーダーチャートの1項目だけ尖りまくってるような人たちです。

たとえばギルギルタウンには佐藤亮太というメンバーがいるのですが、彼は領収書はいつまでも出してこないのに、やたらと芯を食ったクリエイティブを出してきます。

逆に亮太は日清のCMみたいな飛び道具を作れる一方で、エクセル作業は僕みたいな「万能型」に頼む方がお互い楽です。
そうすると僕は「助けてくれ」と頼まれる側になります。

この「助けてあげる」という行為がかなり厄介なんですよね。
「助けてあげる」ということは相手が困っていることが明確で、解決した状態=ゴールも明らかです。

ゴールさえ明確になったら、あとは課題をさばいてあげるだけ。
困った人を助けたという事実は明確ですし、頼られるということは自分が認められたこととほぼ同義なので嬉しいものです。
いわゆる自己肯定感が持てます。

インスタント自己肯定感の罠

「助けてあげた」ことから得られる自己肯定感は「罠」だと僕は思います。

相手を助けた、”いっときの満足感”はすぐに欠乏していきます。
そうなると次なる誰かの「助けて」を探して、「助ける」を無限に繰り返して行くことになります。
お助け自転車操業に陥ると、自分の満足感・自己肯定感を満たしていくループから抜け出せません。

しかも悪いことに、人は頼られることが好きな生き物です。
人を助けられる範囲を広げるため、解決策となる武器(専門外だった範囲の勉強をしたり、資格を取ったり)を手に入れ、努力という言葉を隠れ蓑に自分の満足感・自己肯定感を満たすための手段を探すループにも陥ってしまいます。

自己研鑽が好きな人や、いろいろな資格をとっている人の根底には「助けたい」という渇望があるのではないかとすら、最近は思い始めています。根拠は薄い想像ですが。

1つの満足感が中毒になり、次の満足感を探す。
並の満足感では足らなくなるので、より強い満足感を求めて、自分に負荷をかけすぎているとも知らず、頑張り続けてしまう。
その呪縛に陥っている万能型が確実にいると思います。
僕はそうでした。

ただ、この人助けが悪いとは思いません。
途中まではこのループでもいいんです。
だれかの助けになることは絶対に良いことです。全員がハッピーです。

でも、人助けには中毒性があり、強化するループに陥る恐れを理解する必要があるとも思います。

僕はループを抜け出した先には一過性の満足とは大きく異なる、互いに満たしあうループがあると信じています。
そして、「満たし合うループ」を目指して誰かを助けるという行動は僕はとても尊いことだと思います。

リーダーに求められる「器」の本質

じゃあ、「互いに満たしあうループ」とはなんでしょうか。
1つのプロジェクトを実行するチームで考えてみました。
プロジェクトにはリーダーがいて、メンバーがいます。

よくある構造は、リーダーがプロジェクトの方向性と関連業務を決めてメンバーに割り振る感じかなと思います。
メンバーはリーダーの割り振った業務を達成していきリーダーを助けます。
メンバー同士もよくコミュニケーションをとって、楽しいチームの雰囲気を作りながら、困っていたら助け合う感じでしょうか。

リーダーの仕事はメンバーとの円滑なコミュニケーションと、心理面をケアした気配りと会話、明確な業務定義と実行計画、さらにはそのサポート。

その辺が充実したチームはプロジェクトを達成できると思います。
リーダーとメンバーの関係で、メンバーがリーダーを助けてあげる構図はイメージしやすいでしょう。
メンバーがリーダーを助ける関係性はすでに書いた通りであり、しばらくはやってOKだと思います。

では逆にリーダーはチームや会社にどのようなポジションを築けば良いのでしょうか?

僕の持論では、誰かを助け続けてきたリーダーは、一番大きな器としてメンバー全員を受け止められる箱になれると思います。
その箱であり器の中には、自分よりもスゴいところをたくさん持っている人が収まっています。
メンバーはお互いに殺伐とせず、楽しそうに、嬉々として仕事をし、お互いがお互いを助け合っている。
この状態を作り出せるのはリーダーの器の大きさです。

あなたがリーダーだからメンバーはそこにいて、プロジェクトのために喜んで動いている。
この状態を見た時にリーダーは最も自分が満たされたと感じるでしょう。
自分の器にスゴいメンバーがちゃんと収まっているということは、「自分もスゴいんだ!」と認められるみたいなイメージです。

認められた実感を得るための条件は、リーダーがきちんと助けてもらうことです。
なまじ色々できて、手も動かせるけれど、あえて何もしない。

自分よりできる人をチームという器に入れて、メンバーが動いてくれているのだから、リーダーはメンバーのための器であることに徹する。
リーダーが任せたはずのメンバーの仕事に手を出すことは、メンバーを信頼していないという表明になりかねません。

誰かを助けてあげることで得られる一過性の充足から、器として人のスゴさを自分の中に取り入れることにシフトすれば、相互的な充足へと満足感をステップアップさせられます。

これが、元一過性の満足感の中毒者からお伝えできるひとつのチームの形です。