こんにちは。こんばんわ。
年末ですね。みなさん2025年はどんな一年だったでしょうか。
ギルギルタウンの共同創業者・役員の佐藤(亮太)と申します。
「ブログいい加減書け」と周りから言われ続け、ヘビーな腰を上げてブログを書いてみようと思います。
後述しますが、僕は幼少期から映像・写真に興味があり超我流で制作し続けてきました。
結局サラリーマン時代も、そして現在のギルギルタウンでもクリエイティブと呼ばれる類に関連する仕事をしています。
いえい。
一方で文字情報って、映像とか写真と比べて丸裸にされる感覚なんです。
映像とか写真と比べて、解釈の幅が狭くダイレクトに伝わるイメージ。
だから、このブログを書くまでにも、めちゃくちゃ時間がかかりました。
書きたいけど書けない⁄(⁄ ⁄-⁄ω⁄-⁄ ⁄)⁄って感じ。
変な曲がったプライドってやつでしょうか。自分でもよくわかりません。
(という言い訳を冒頭で述べておきます。書くの遅くなってごめんなさい)
あと、最初の投稿です。
今後書いていく上で、僕なりに大切にしたいことを書いておこうと思います。
今の時代、AIがあります。仕事でも良く使います。もう無くてはならないものです。
AIでも使えば何かのテーマで書き上げること自体には苦労しないと思ってるんですが、ここのブログはなんか違う。
めちゃくちゃリアルを出すところ。
だから、あえてAIを一切かまさないし、便利そうなツールも使わずに縛りプレイで書いていきます。
超オールドスタイルで思ったことを、脳からそのままダイレクトタイピングってやつです。
変な日本語あったらごめんなさい。
お前誰やねんって感じだと思うので、自己紹介にします。最初だし。
文章を書くのが恥ずかしいと言ったものの、色々言いたいことや伝えたいことはあります。沢山ある。
‥とはいえ、これを読んでくれてる人は自分・佐藤亮太のことを知らない方も多いかと思います。
てか、ほとんどの人が知らないと思います。
そんなこと中であーだこーだ色々言っても「‥んでお前誰?」になってしまうと思うのです。
ということで、最初は簡単な自己紹介から始めようと思います。
そもそもぼくは、親が経営者だったわけでもありません。親戚もほとんど公務員かサラリーマンです。
大学まで会社を作ろうという考えもありませんでした。高校の時の夢は”外交官”です。
そんな人間が、計7年サラリーマンをして、会社を辞めて株式会社ギルギルタウンを共同創業。
それがなぜ今に至るのか――。
まだまだ語れるレベルの人生の深さではないですが、時計の針をちょっと戻して、物語を始めたいと思います。
読んでて飽きたら閉じてください。
恥ずかしいので。
幼少期。天邪鬼的な

最初に言っておくと僕は幼少期の記憶がほとんどありません。この写真もいつの時か覚えていません。
少し、天邪鬼気質な子供だったことは覚えています。
- チャリのハンドルに小型ポータブルテレビをくくりつけ、「どうだ、おれのチャリにはカーナビがついてるぞ」と本気でドヤり。
- 小学3年生の頃、無数の小人で文字を構成する「ヒトモジ」という絵を独自で勝手に制作。毎年その年の西暦を描いた大きな作品を完成させ、教室の前に掲示。
- 地元小学校の合唱コンクールで皆と同じ曲を歌うのが嫌になり、無理やり友人3人を巻き込み、教師に懇願して別枠を設けてもらい、ライブを披露。ギターなんて弾けないし、もちろん持ってもないので、ほうきで代替。
‥などなど。
少ない記憶を辿ると、こんな感じの可愛げない激イタエピソードが色々思い出されます。
みんなやっていたり、誰かがすでにやってることが嫌な感じだったんだと思います。
あと、正面突破で印象に残す自信がなかったのかもしれません。
とにかく、常にそんなことを考えてましたし、やってました。
そして、それの反応が快感だったんだと思います。
本編より、普通に、メイキングが好っきー!
僕が所謂クリエイティブというものに興味を持ったきっかけを話します。
きっかけは小学生の頃。
当時、僕は小学4年。中学生だった姉がELLEGARDEN(通称:エルレ)という邦ロックバンドが大好きだった影響で、僕も小学生のマセガキさながらに、ヘビロテしてました。
んで、エルレの歌詞はほとんど英語。
当時何を言っているのかよくわかりませんでしたが、とにかくかっこいいワケです。
上に書いた合唱コンクールから外れて、ほうきをギターに見立ててライブしたときの曲もエルレでした。
お得意の天邪鬼気質にも合ってたんだと思います。
「おれはKAT-TUNなんて知らねぇぞ」
「亀梨?細美武でしょ」
みたいな感じで。
当時ヒットしていた、おしりかじり虫を歌ってる友達の横で、the autumn songを口ずさむ。
そんなやつでした。
そんな流れもあり、洋楽を聴き始めます。
エルレ→洋楽っていう、ある種の王道ですね。
チャリで15分くらいのところにあった近所のTSUTAYAが、当時土日1枚100円でレンタルできたんです。
小学校・中学校時代は、よく親に連れて行ってもらい、1週間1枚、何か頑張った時とか、たまに3枚くらいレンタルさせてもらってました。
僕の思い出の場所です(今調べたら閉業してた‥)
そこの洋楽コーナーで出会ったバンド、アーティスト。
EMINEM、Green Day、Coldplay、SUM41、The Offspring、U2‥一通り聴いた後、一番衝撃だったCDがあります。
史上最も偉大なラッパーとも評されるJAY–Zと、特に当時(勿論今もだけど)爆イケなアメリカのロックバンドLinkin Parkがコラボしたアルバム「COLLISION COURSE」です。MTVの企画だった記憶。
カッコ良すぎて、好きすぎて。
少ないお小遣いを叩き、CDも買いました。
そしたら、なんとそのCDにはメイキングDVDが特典で付いていたのです。
前置き長くなりましたが、このメイキングDVDが考えてみると、僕のクリエイティブに関わる原点だと思います。

曲が作られる裏側を見たのはこれが初めてだったと思います。
まず、みんなゲラゲラ笑ってたのに、曲が流れ始めた瞬間顔が変わる。
そして、JAY-Zのレコーディングシーン。
とてつもないオーラで登場し、ラップを歌い始める。
「めっちゃかっこいいじゃん‥!」って僕はなるわけです。
でも、JAY-Zは「違うこれじゃない」「もう一回だ」って言う。
そんで、みんなあーだこーだ議論し始める。
「え?めっちゃ良かったじゃん!」「さっきのでいいじゃん」って僕は思うのです。
でも違うと言っているJAY-Z。
観ているとなんか自分だけが”その域”に全然達していないことに、孤独というか、恥ずかしい気持ちになってくるんです。
(レベル違いすぎて、鬼当たり前なんですが)
同時に、一つの作品・伝えたい感情を出すために、それぞれの持つ個性やスキルを最大出力して合体させようとする現場の雰囲気。そして、それを映し出すメイキングムービーの魅力に気がつきました。
作品を作る過程は‥メッセージを伝えるために、みんなこんな真剣なのか、、と。
当時はもちろん、そんな言語化してなかったですが、そうだったんだと思います。
何かの作品の舞台裏・メイキングカットやシーンを観ていると、聴き手を超えた作り手の気分(=原液みたいなもの)が味わえます。そして時に、自分の至らなさも同時に味わえます。
番外編でメイキングが収録されている映画やMVのDVDをたくさん借りさせてもらって、いっぱい観ました。
これがクリエイティブというものに、興味を持った僕のファーストステップでした。
本編より、普通に、予告編も好っきー!
クリエイティブに興味が寄ったのは、実はもう一つあります。
それは映画の予告編。
毎週TSUTAYAに行かせてもらってたという話がありましたが、TSUTAYAにはCDだけじゃなくDVDもあります。
洋楽好きでCDを借りにきて、ぐるぐる店内を回っていると映画のDVDもあります。
そんで好きな曲が使われている映画もたくさんあります。
そんな感じで、ついでに映画DVDも借りてたワケです。もちろん映画も洋です。
んで、映画を探してると、予告編を沢山みるわけです。
そうして見てると予告編が気になってくるわけです。
映画本編を観てもらうために、なぜこんな予告編にしたんだろう?みたいな。
予告編で良いなと思って借りたら、めっちゃつまらないとかもあるワケです。
(⚪︎イハード3のような。個人の意見です)
そんで気づいたら、予告編にハマり、そればかり観て。
時に予告編だけで満足して、映画を借りなかったこともあります。
当時は今みたいにスマホは無かったし、インターネットもまだまだでした。
なので、好きな予告編は出先でも観れるように、親のデジタルカメラをこっそり借りて、動画機能で予告編が流れているテレビを撮って、それを持ち歩いて、小さなモニターで鑑賞していました。
トランスポーターとか、リュックベッソン監督のTAXIとか。
初めて自分で撮影した動画も、ダイハードの予告編パロディ動画でした。
(探してもデータ無かった‥)
ブルースウィリスさながらの坊主頭の友達にお願いして、なんかの祭りで当てたM4A1カービンを持たせ、公園をダッシュしてもらった記憶があります。あのときは裸足で何度も走らせてごめんなさい。
そんなメイキングムービーと予告編によって、僕のクリエイティブと言われる物への興味は高まっていきました。
「好きなことで生きていく」?ってなって就活
ってな感じで、クリエイティブに興味をもった僕です。
小学生から興味を持ち、コソコソ制作活動もしてきました。
いかにも、アーティストとか芸大とか目指すかんじじゃないですか?
不思議なのが、違ったんですね。
クリエイティブと仕事は別のものだと思ってたんです。
アホすぎてですね。仕事=スーツを着てる人みたいなイメージでした。

そんなかんじで、クリエイティブというやつを仕事にするなんて微塵も思ってなかったので、しばらくは無縁の進路。
とはいえ、洋楽フックで海外、特にアメリカに強烈な憧れを持っていたこともあり、英語を沢山学ばせてもらえる私立中学を受験させてもらい入学しました。
話は雑に飛びますが、そんな感じで英語が好きになり、半インターナショナルスクールみたいな高校で3年間を過ごしました。
高校生当時に衝撃を受けた映画「ユナイテッド93」に影響を受け、9・11テロに関する英語論文を書き、その流れで国際政治に関する学部中心に受験。
そんな感じで、私立大学の国際政治学部に入学。
予告編とメイキングムービーはよく観てたし、たまにDJしたり、コソコソ写真撮ったり動画作ったりしてたけど、気づけば基本クリエイティブとはほぼ無縁の学生生活。
(そこでギルギルタウンに入った大矢根とも出会います)
んで、就活。
当時のYouTubeのコピーで「好きなことで生きていく」が流行りました。

でも、クリエイティブを仕事にしたら、嫌いになりそうだし、所謂の仕事しているイメージが湧かなかったんです。
就職先の候補にも挙がらなかった。
(好きなことを仕事にした方がいい‥を今も信じているわけではないですが)
だから、そもそも広告代理店とか制作会社とか‥そういった会社は受けておらず、浅はかに海外行けそうな会社中心に受けました。
独立するイメージも一切ありませんでした。
ちなみに、就活でもお得意の天邪鬼気質を発揮。
就活をしっかりやっている人を蔑み、数社しか受けず我流スタイル満載。
「結局覚えてもらえるかっしょ!」と思い、面接前日まで地中海マルタ島でフルマラソンを走り、新鮮なエピソードを披露。
「おじさんと会話するだけでしょ!」と意気揚々と意気込みながらも、いざ面接となると緊張。
結果、いくつか丁重なお断りをいただきつつ、こんな僕に内定をくれた会社に入りました。
祇園涼介という人間に出会う
そんなこんなで僕は就職。
大手総合商社という今の自分には似つかわしくない1社目です。
そこで今の会社の代表であり、一緒に会社をたてた祇園と出会います。

こんな感じで隣の部署でした。配属初日、入社挨拶の時です。
7年前、祇園も僕も今と違いすぎますね。流石にtpoをわきまえて髪も切っています。
(なんかレピュテーションリスクってやつに近い気がします。この写真、怒られないかなw)
とにかくまぁ、この出会いが色々狂わせるわけですな。良い意味ですよ。
祇園とは、この時から今に至るまで、ほぼ毎日話している気がします。
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って、ちょっと待ってくれ、このまま書いていたら終わらないぞ。
お読みの貴方も、そろそろちょっと飽きましたよね?
今2025年12月31日22:25。僕も書きながら年も越してしまいそうです。
あけましておめでとうございます‥とならないように。
元々一本で書こうかなと思いましたが、
祇園と出会ってから〜ギルギルタウン創業・現在までのエピソードは、改めて後半篇として分けて書きたいと思います。
ということで2025年も本当にお世話になりました。
素晴らしい経験を沢山させてもらいました。
おかげさまでとても良い年になりました。
2026年もよろしくお願いします。
ほんじゃまた。



