ギルギルタウンは、
最もピュアな会社を目指している。
それは、
世の中を知らないままでいたい、という話ではない。
理想論だけで突っ走りたい、ということでもない。
むしろ、その逆だ。
現実を知ったうえで、それでもなお、理想を変えず、妥協しない。
「そういうもんだから」という言葉で、片付けようとしない。
そういう意味での、ピュアさだ。
ピュアという言葉の違和感
「ピュアだよね」という言葉は、ときどき不思議な使われ方をする。それは褒め言葉のようでいて、実はどこかで線を引く言葉でもある。
たとえば、新しく入ってきたメンバーが、
「それって本当にこのやり方でいいんですか?もっと良くできる方法がある気がします」
そんなことを真っ直ぐに言ったとき。
周囲の誰かが、少し笑いながらこう言う。
「いや〜、ピュアだね」
その場の空気は和む。
でもその一言で、その問いは“現実を知らない意見”として片付けられる。
「そのうち分かるよ」
「社会ってそういうもんだから」
「うちではそれ通用しないんだわ」
そう言われる側は、あたかも“通過点にいる存在”のように扱われる。
まるで、自分たちはもうその理想を一度は考え、そして手放した“経験者”なのだと言わんばかりに。
ピュアは、最も難しい態度だ
私の持論はこうだ。
ピュアでい続けることは、
擦れていくことより、よっぽど知識も経験も必要で、難しい。
なぜなら、
ピュアでいようとすればするほど、現実との矛盾から逃げられないからだ。
自分の中で大切にしている考えや信念は、現実世界に出れば、ほとんどの場合うまくいかない。理想は、いとも簡単に壊される。
ピュアの反対は、
汚れでも、擦れでもない。
諦めだ。
「ま、そういうもんでしょ」
「それはどうしようもない」
「それが社会だから」
こうした言葉は、現実を知っている証拠のように聞こえる。けれど実際には、目の前の事実について、どうにかすることをやめたサインでもある。理想に対する矛盾を考え続けることをやめて、目の前の事柄に自分を納得させる態度だ。
理屈を壊して、組み直す
通用しなかったら、自分の中で組み上げてきた理屈を壊す。
その場に合わなければ、組み替える。
どうしようもない矛盾に気がついてしまっても、守りたいものがあるのならまた別の回路で整合性を取り直す。
そのときに大切なのは、
長い文章や長い話、時間をかけて積み上げられた何かを、
安易に短い言葉で要さないことだと思う。
平たくいうとこうで、まとめて言うとこう。つまりは・・・
こうやって分かった気になって、簡単な言葉に置き換えてしまった瞬間、その過程でたくさんの情報がこぼれ落ちる。それではこの矛盾の壁は越えられない。どうにか自分の言葉で表現して、それでもこぼれ落ちたものは、また別の言葉で定義し直す。
面倒なことを、面倒なまま扱う。
これをしないと理想なんてのはすぐに消えてしまうものだと思う。
”ピュアでいる”とは、
この面倒でしんどい工程を、省略しないという態度のことだ。
ギルギルタウンで働く人
だから、うちの会社では
ピュアであろうとする人と、一緒に働きたい。
最初から答えを知っている人である必要はないし、
要領よく立ち回れる人でなくていい。
でも、自分の中にある理想を思い描き、共に追いかけられる人がいい。
自分の中の大切なものが壊れそうになったとき、
一度立ち止まり、もう一度考え直せる人がいい。
最も難しい選択を、選び続ける
ピュアでいることは、楽ではない。時間もかかるし、回り道も多い。
それでも、理想と現実の整合性をとり続けることをやめない。
諦めずに、壊して、組み直し続ける。
最もピュアであることを、
最も難しい選択として選び続ける会社でありたい。



